2010年 02月 16日
マニャン@蕎麦道心にいらしてくださったみなさま、ありがとうございました。 色々な出会いがあって、今回も楽しかったです。 先日からようやくマニャンのレコーディングも始まったことだし、秋に計画しているイタリア企画までテンポよくいろいろ進めていきたい(といいつつ、いつもなかなかできないんだけど)。 さっき、爆笑問題太田さんのコラムを読んで「専門家の言う事は話半分で聞いておいた方がいいかも」というのに納得して笑ってしまった。 コラムの内容は主に経済に関するものだったんだけど、他の分野にも十分当てはまるよなあ、と思った。 ふとした体験や面白い文章、公演・講演など、何か刺激を受けることがあるといろいろな考えが浮かんでくるので書き留めたりしてるんだけど、それらは放っておくと自分でもすっかり忘れてしまって、後で何かの拍子に発見することがあっても大抵は「あー、こんなこと考えてたっけなあ」で終わる。 本当はブログにでも書いておこうと思ってメモしてるんだけど、そういう時に浮かんでくる考えはだいたいややこしかったり、きちんと整理しないとただの変な人の作文だったりして、そのままでは載せられず、かといって推敲するのも面倒で放置してしまう。 けど、特にアクセスの多くないブログであっても、載せるために多少整理することで自分のためになったりすることがたまにはある(気がする)ので、とりあえずあまり手を入れなくても当たり障りないメモを載せておこうかな。 ●性善説・性悪説 性善説とか性悪説って意味のないものに思えるけど、どうなんだろう。何が善で何が悪かという判断基準事態が環境、文化や宗教、その他の理由で異なってくるのに、それを無理に2色に分けたところで、得るものがない。それより、戦争でも殺人でも条件が揃えば「やっちゃう」のが人間であり、ではどうするかということを考えてはどうだろう。 人間が、人間自身の性質をほめたりけなしたりしても空しい。「やっちゃう」ことを認めて、そこから歩き始めるしかないんじゃないだろうか。 けど、こないだ始めて「生きテク」というサイトを知って、あーなるほどと思った。自殺しそうな気持ちや状態から立ち直った人の体験談を集めて、それらを現在自殺したい思いを持っている人に役立つよう公開しているんだけど、グッドアイディアなのが、絶望を味わう事になった経緯と、立ち直ったきっかけ、それぞれを8つのジャンルに分けたこと。 (複数のジャンルにまたがるものもあるから「タグ」という方が近いと思うけど、ネットのことをある程度知っている人には馴染みのある言葉とはいえ、世間的にはまだまだあまり認知されていない概念の気がする) いろいろな人が参加し、内容を噛み砕くためには、やはりガイドになる仕組みが必要ということなのかな…。 でもそれだけじゃなくて、「生きテク」というネーミング、発想自体もナイスなんだよなあ。 ●習得するということ 僕は人からものを習うのが苦手だ。 今では、多少なりとも自分の意固地なところとの付き合い方がわかってきたからそうでもないんだけど、子供の頃からの癖で、自分で追求して、身に付けたいと思ってしまう。 「なぜ」を知りたいから。 何かを習得するのは、孤独な作業だと思う。たとえ誰かに教えを乞うていても、自分なりの理解をし、馴染んで行く過程は、その人の中でしか起こらない。 (と言いつつ、最近ぼちぼち楽器を教えているんだけど、それはそれで発見があって面白い) 子供の内なら、鵜呑みでも馴染むかもしれないけど…あー、だから子供の時に覚えたことって忘れないのかな。 年を取るに従って脳細胞はどんどん減っていくけど、単純に減少しているだけではなくて、ある意味の交通整理も行われているらしい。 整理されるから、ある事柄と別の事柄を結びつける連想力が増す。 そうすると、次から次にオヤジギャクが浮かんでくる…というオチらしい。 たまにダジャレの機銃掃射みたいなおっちゃんに出会うと、なるほどそういうことかと思うことがある。もちろん、もともと頭の回転が早いだけかもしれないけど。 ●記録とプロトコル 人間は文章や何かで記録を残しているわけだけど、そのおかげで人類が賢くなっているかというと、あんまりそうでもないようだ。 科学技術は少しは進んだかもしれないけど、政治では歴史上同じような失敗を繰り返しているし、哲学的な進歩もあんまりめざましくなさそう。 ある人が「あっ」とひらめいて、その発見を誰かに伝えようとする時、結果だけを伝えても理解されない。相手に理解する準備ができていない。 そのために順序立てて、でも自分がひらめくまでにかかったより短い時間で、相手にもひらめいてもらって共有したい。そのひとつの形が物語だったりするんじゃないかな、と思う。 そして、コンピュータのスクリプト(プログラム)に例えると、別の要素も見えてくるように思う。 ある人が考えたスクリプトが、会話か文章か、あるいは他の何かの形で別の人の脳に入っても、それだけではまだ理解が生まれない。 そのスクリプトが実行されて初めて、その人は理解して、腑に落ちる。 でもスクリプトが実行されるためには、そのための環境が整っていなければならない。 これまでの人は、スクリプトを文字にして残して、それを他人や後世に伝えようとしてきた。 でも実行されるための脳内環境の準備、これはどうやって遺せば良いのだろうか。 環境はおそらく体験の積み重ねから得るもので、文字では遺せないかもしれない。 コンピュータやネットワークの世界で言うなら、プロトコル。 人間にとってのプロトコルとは…ひょっとして文化では? 文化を失うということは、プロトコルを失うということなんじゃないだろうか。
by miura1go
| 2010-02-16 04:00
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